2008年7月31日木曜日

写真を追加しました。

ブログのちょっと右下に、過去の公演のスライドショーを追加しました。

クリックすると大きく見れます。

これからもちょこちょこ追加していくので、ご覧ください。

2008年7月28日月曜日

近大3期生石川健太のレポート:也寸の授業

①自分の人生を表現する音楽

この課題を出されたのは、たくさんいる也寸の生徒の中でも、オレらの代が初めて。也寸自身、
「今回初めて課題として生徒に出してみるんよ、上手くいくかいねぇ…。」って言ってたもん。

要するに自分の人生を、
自分の好きな音楽を自由に繋ぎ合わせて表現する、というもの。

このお題、オレはすごく楽しみで、一所懸命に音楽繋いで作っ
た。

オレは泉谷しげるの叫びから始まって、
ブルーハーツと尾崎の曲が交互に出てくる感じのものを流した。
これは也寸に大いに褒められたんだけど、
次に登守さんが音楽流したときに、也寸が良いこと言ったので
覚えてる。

「登守のも全体的には良かったよ。たださ、さっきの健太のはさ、健太の孤独が聞こえたけどさ、アンタのはそれが無かったよ。孤独がないと、人生って表現でけへんのよ。そこが足らなんだね。残念!」

この言葉は、何を表現する上でも、
すごく大事なことじゃないか、とオレはそのとき思ったし、
今も生きてる。

②春夏秋冬

一回生のときのだね。
体を動かして、春と夏と秋と冬を連続で表現する課題。
これなんで覚えてるかっていうと、みんなやたらに冬が上手か
ったの。

春はなかなか気持ちを弾けられない、
夏は自分を内から取り出して力強く動かせない、
けど、秋からみんな徐々に表現が上手くなってきて、
冬はほぼ全員が出来た。

それを見たときの感想が
「内にこもるような世代なのかなぁ。 だから、自分の内を向くような、秋や冬の季節ばかり上手いのかな。」
ということ。
これは也寸が言ったのか、オレがそう思ったのかは覚えていないけど、でも当時、オレら世代の本質の部分のような気がした。
ほら、今も色んな事件があるでしょ。マニアックな事件がさ。
結局さ、こういう性質から来てるのかもしれないな、ってことでさ。
ちょっとこれは、個人的な感想すぎたか。


③初めてのショートショートショー(近大学園祭での演劇科のだしもの)

一回生の秋。初めてのショートショートショーで、オレや馬場ちゃんやルパン、あと女性複数名で、妙な芝居を作った。
カウンターしかない飲み屋に客が一人で入ってきて、でも店の中の人間が集団でおかしな動きばかりしているので、客がとにかく怯える、というもの。
その名も「集団心理症候群」。

これを也寸に見せたときに、激怒された。
「アンタらさ、観念的よ!もっと自分の心で思ってること、ないんかいね!」
この一言は大きかった。

観念的? 初めて聞いたが、どういう意味だろう?
オレと馬場ちゃん、ルパンが長いこと話し合って、女性陣と一緒にやるのはやめて、
服部哲ちゃんも加えて4人で作ったのが、

「ザ・ブルー・ハート ~方言の彼方へ~」

っていうやつ。
オレら全員地方出身だったから、そこを活かして大阪に来たときに受けた方言の違いによる差別(?)を、オレが大好きなブルーハーツの替え歌に合わせて、ひたすら4名で歌って踊った。
「かしわ」ってなんだ?とか。

オレが名古屋弁、ルパンが群馬弁(本当はそんなの無いらしいが)…みたいに。

これは好評だったんだよね。続編も出来たし。
で、そのときに学んだのが、観念的ってものは表現とは言えないし、誰かの心を揺さぶるようなものじゃないんだ、ってこと。
大事なのは心で感じていることなんだな、と。

長くなるけど、余談も。
学園祭が終わったあとに、也寸がショートショートショーの振り返りをしてて、
「あの方言のショート(ブルーハートね)は良かったよ。ナンセンスでさ!」
と褒めた。思わず褒められたオレが
「先生! ナンセンスって何すか?!」って聞いたら、也寸が
「…モンティパイソンよ!」
と答えた。今思えばなんて乱暴な答なんだ!
と思うんだけど、これはこれで良くわかった。

④自分の部屋

小さい頃の自分の部屋に、大人になった自分が戻ってくる、
という課題。
オレのはともかく(いや、悪くなかったけどね)、
覚えているのは一回生の最後の方にやったときのこと。

美穂が演技していて、小さな木琴かなんかで曲を奏でた。

このときね、也寸が
「良かったよ! 音が聞こえたよ!」と言った。周囲が「えぇ~?!聞こえたかぁ?!」
みたいな反応になっていて、修がオレに小声で「聞こえた…?」って聞いてきた。

けどね、オレ、このとき聞こえたんだよ。
美穂はチューリップを弾いたんだ。オレ、音どころか、曲が聞こえた。

なんでこれが印象に残ってるかっていうと、すごく単純で、演技ってイメージを持ってやれば、
音なんか出てないのに音まで聞かせられるんだ!って単純な驚き。

ってことはさ、もしかしたら、演技だけでオーケストラみたいなことだって出来るかもしれな
い!ってことでしょ?

演技って、なかなかたいしたもんだなぁ、と思った。

2008年7月15日火曜日

大橋也寸の報告ーワークショップ&オーディション 7月12日、13日

今度の一番の収穫はダンスを教えた相原マユコ。
全身の骨組み、筋肉を一つづつ、ストレッチし、意識させ柔軟性を積み上げていく。
私が芝居でやりたいことと同じレヴェルに詳しい。
彼女はロンドンのラバン・センターで2年間勉強してきた。
帰国して後、ダンスグループ j.a.m.dance theatre を創り公演活動をしている。
かたはら、外国人のワークショップに参加したり、ヨガの勉強を重ねて、あそこまでの方法論をつくりあげた。ほんとにめでたい、よかったよかった。
目下は私の稽古に来て研修助手として演出の勉強をしている。

ワークショップ参加者は女性ばかり4人。
一人は芝居経験が無い。一日目でギヴアップした。二人組みになった相手の目が見られない。日常生活でのコミュニケーション経験が無いと見える。
感受性はよさそうなのに、分からないことに耐えられなかったらしい。残念。
もう一人は進化型演劇プロデュ-ス・ムーンビームマシンのメンバー。
ダンスレッスンとヴォイストレーニングのレッスンを受けている。身体がよく動く。
彼女のやりたい方向と我々のめざすものとの隔たりが大きい。
知らない分からないことばっかりだったらしい。
挑戦する気があるなら受け入れることにした。
後の二人は近大の今年の卒業生。
私と芝居をしたこともあるから、面白いかもしれないけれど難しい実験をしていることは承知している。
一人は自分のグループを持ち作家・演出家・俳優をやっている。
ワークショップの参加だけの希望。
残った近大卒業生は挑戦してみようかな、という気配。

私のやっている芝居は、アメリカやヨーロッパ映画にも見られるような、「今を生きる」人間の表現を目指すもの。そのためには私が卒業し、教師でもあったジャック・ルコック国際演劇学校の方法をつかっている。だから私と芝居をしたことのある俳優が外国映画に出演して評価されている。違和感がないらしい。しかし日本で行なわれている演劇とは遠い。
ルコックのテーマは想像力に訴えるというか、それにかけている。それが難しい。
そこで解決策として、「二人で組んで相手の目をみながらダンスをする」ことと、「そっくりに人真似をする」という方法を考えた。
人の目を見てダンスをすれば、「ウケ」と「アタック」という芝居の基本が身につく。
ダンスの間にほかのメンバーと目が合えば相手を変える。
こうして舞台全体が意識できるようになる。音楽に酔って自分の内面が変わる。
「人真似」は、内側のリズムをまねることで人物が自分の中に入って、別の人生が見える。
役作りのスタート台に立てたわけ。
ここからはどんなデフォルメも、ひいてはスタイルの創造が可能になる。



講師として参加してくださった、
j.a.m. Dance Theatre 振付家、相原マユコさんの感想です。

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普段はダンス関係の人とのつながりが多いのですが、私自身、自分の作品性の変化などを通じて、お芝居をしている人々へのワークショップにとても興味があったので、今回はとても良い経験になりました。
実は五月にぎっくり腰をやってから、なかなか体が動かず、その部分は少々心配でしたが、なんとか無事終了してホッとしています。
今回のWSを通して一人でも多くのメンバーがパフォーマーとして自分の身体の可能性とあきらめずに対話しつつ、例えば簡単なストレッチなどから体をトレーニング、メンテナンスするという習慣が始まれば、と願います。
WS後半部分のシチュエーション即興を見ていて思ったのは、背骨と筋肉の使い方が雑かも…ということ。特に人物像をつくる時に、結構みんな姿勢(その人物がしているであろう)から入る割には大ざっぱな真似になってしまうから、その人物が出す声や手足の使い方まで連動しないのかな?ここで背骨の一つ一つ、指先の筋肉にまで意識が行き届くと、きっともっともっとおもしろい人物、おもしろい感情が生まれるのでは?と、期待せずにはおれません。
これからの彼らを楽しみにしつつ、私もこつこつと学びたいと思っています。

相原 マユコ